鉄道唱歌 山陽・九州編の歌詞を、わかりやすく解説してゆきます!
初心者の方や詳しくない方にも、楽しめるよう解説してゆきます!
↓まずは原文から!
和氣清麿が神勅を
請ひまつりたる宇佐の宮
あふがぬ人は世にあらじ
さらに読みやすく!
和気清麻呂が 神勅を
請いまつりたる 宇佐の宮
あおがぬ人は 世にあらじ
♪わけきよまろがー しんちょくをー
♪こいまつりーたる うさのみやー
♪あおがぬひとはー よにあらじー
宇佐駅からは、バスで宇佐神宮へ
列車は既に、大分県宇佐市の、
- 宇佐駅
に到着しています。

宇佐駅(大分県宇佐市)
宇佐駅からは、バスで
- 宇佐神宮
へと向かうことになります。
「八幡の神様」の頂点に君臨する、宇佐神宮
宇佐神宮は、三大八幡の神様の総本社になります。
日本の神社の中でも、トップクラスに多い八幡神社
八幡神社は全国で約4万あり、日本の神社の中でもトップクラスに多いのです。
なので宇佐神宮は、実はもう日本で一番すごいくらいの神社なんじゃないか?って思えるくらいです。
もっとも、日本で最も格式の高い神社は、皇室とも関連性がある三重県の伊勢神宮です。
しかし、宇佐神宮もそれだけ重要な神社ということです。
「八幡の神様」は、源氏からも代々信仰されてきた、「戦いの神様」
八幡の神様とは、つまり戦いの神様であり、あの源氏からも代々崇拝されてきました。
理由はもちろん、戦勝祈願のためです。
源氏が主に崇拝していた八幡神社は、神奈川県の鎌倉市に存在する鶴岡八幡宮というのは、言うまでもないですね。
鶴岡八幡宮については、以下の記事でも解説していますので、ご覧ください。

三大八幡宮とは?
なお、三大八幡宮とは、この宇佐神宮と、
- 福岡の筥崎宮
- 京都の石清水八幡宮
の三つの神社になります。
筥崎宮については、以下の記事でも解説していますので、ご覧ください。

石清水八幡宮とは
石清水八幡宮は、源義家が元服し、八幡太郎という名前を授かった場所です。
元服とは、成人の儀式を終えることです。
石清水八幡宮については、以下の記事でも解説していますので、ご覧ください。

しかし、先ほど挙げた鎌倉の鶴岡八幡宮も、非常に有名で大きな神社となります。
そのため、鶴岡八幡宮も合わせて、四大八幡神社と言ってもよいのではないか、と個人的には思っています。
ただ、鎌倉時代に建てられた鶴岡八幡宮は、他の八幡神社と比べたら比較的後の時代の神社となります。
そのため、それは仕方ないことなのかもしれません。
奈良時代に、和気清麻呂がはるばる訪れ、神様の教えを受けた宇佐神宮
歌詞にある和氣清麻呂とは、奈良時代の僧侶である道鏡の怒りを買った人物です。
仏教勢力の強まりと同時に登場した、道鏡
奈良時代、仏教勢力があまりにも奈良の都に蔓延りすぎたのでした。
そのため、発言力の強くなった奈良のお坊さんたちは、政治に対して色々と口出ししてくるようになってきます。
つまり、仏教の政治に対する影響力が大きくなってしまった、ということです。
そして、この道鏡という人物が、天皇になりたい!と言い出したのです。
女性天皇と恋仲になってしまった!?
なぜ道鏡がそこまで天皇になりたがったのか、それはなんと女性天皇と恋仲になったのも、理由の一つとしてあります。
詳しくは、以下の記事でも解説していますので、ご覧ください。

道鏡の主張は正しいのか、和気清麻呂が宇佐神宮へ
天皇は、今から約2680年前に初代の神武天皇から始まって、現代の令和に至るまで126代までずっと神武天皇の血筋と流れをくんでいます。
ましては道鏡のような仏教の勢力の僧侶が天皇になるということは、前代未聞の大事件だったのです。
その道鏡が天皇になるということが正しいかどうかを確認するために、和気清麻呂がはるかここ大分の宇佐神宮まで赴いたのでした。
結果は却下 道鏡の怒りを買う
そして宇佐神宮において、和気清麻呂が神様へと問い合わせたところ、
という見事なまでの神様のご教示を受けて、それをそのまま奈良の都まで持ち帰りました。
すると当然ながら道鏡は怒り、和気清麻呂は左遷となってしまいました。
ちなみに「麻呂」は、「麿」とも書きます。
昔の漢字は難しいため、簡略化されて「麻呂」のような表記となったと思われます。
宇佐神宮は、「片参り」は非推奨 なるべく「両参り」をしよう
宇佐神宮では、
- 上宮(じょうぐう)
- 下宮(げぐう)
が存在します。
よく写真で知られる宇佐神宮の社殿は上宮の方であり、そのちょっと離れた場所に下宮があります。
宇佐神宮では、上宮と下宮の両方を参拝することがよいとされています。
いわゆる「片参り」という、上宮のみの参拝行為が推奨されておらず、下宮との両方を参拝する「両参り」が推奨されています。
帰りの宇佐駅行きのバス停まではちょっと遠く乗り遅れないよう気をつける必要がありますが、上社と下社両方の参拝が行えるように時間に余裕を持って行動したいものです。
「仰がぬ人は世もあらじ」とは?
最後は、歌詞4行目の
の意味について考えてみましょう。
「あうぐ」「あおぐ(仰ぐ)」は、尊ぶという意味です。
「あらじ」とは、「(まさか)ないだろう」という意味です。
ここで「じ」とは、推量(~だろう)の否定の意味で用いられます。
つまり、「~ないだろう」という「打消推量」になります。
したがって、「世にあらじ」は、
の意味になります。
まとめると、
尊ばない人はまさかこの世にいないだろう」
などのような意味になります。
宇佐神宮は、先にも述べたように、あの源頼朝を筆頭に歴史的に信仰されてきた「八幡の神様」を祀る、全国で最も数の多い「八幡神社」のトップに立つ、非常に格式の高い寺です。
そんな格式の高い宇佐神宮を、
この世にいないだろう」
のような意味で歌っているわけです。
大分県のこの辺りに来られた時は、宇佐駅で是非降りて、バスに乗り換え、宇佐神宮に参っていきたいものですね!
宇佐駅からは、再び小倉駅へ戻る

宇佐駅(大分県宇佐市)
では、次回より宇佐駅に戻り、日豊本線を再び逆戻りし、北九州・小倉まで戻ります!
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